卒業生の声

    僕が不登校になったのは小5の後半頃でした。原因は?と聞かれるとちょっとややこしいのですが、簡単に言うと学校に居るのがとても苦痛でした。

    算数や理科などは出来ていたのですが、国語や社会の様に読み書きが多い物は極度に苦手でした。

    書き取りも遅かったので黒板も間に合わず、理解力も乏しかった為に先生の言っている事も全く分かりませんでした。

    何を話しているか分からなくて当時はとても苦しみました。

    経緯は少し省きますが、上記の事から不登校になった後、学習センターという場所で様々なテストを行なった結果。
    LD(学力障害)と診断されました。

    僕の場合、左脳と右脳の発達具合に大きな差があり、右脳の発達は同年代から比べると相当早く、左脳は相当遅かったので、言語力や理解力が基準よりも低かったのがLDと診断された理由だそうです。

    アメリカでは僕のように得手不得手がはっきりしている子には個人の長所を伸ばす教育方法があるようなのですが、日本にはそういった教育は無いと言われました。

    それからはしばらく学校に行かず、家で家事を手伝ったり、学校が終わると友達と遊びに行ったりしながら何となく生きていました。学校に行くか行かないかで親ともめた事もありましたが、兄が昔いじめをうけて学校に行かなかった時期があったらしく、理由は違いましたが僕はすんなり受け入れてもらえました。

    毎日ずっと家にいると、段々それはそれでしんどい事なのだと思い始めました。

    次第に友達と遊ぶ回数も減っていき、ゲームやテレビ、洗い物に洗濯物を毎日毎日繰り返しているうちに、何の為に生きているのか?何でこんな事をしているのかが分からなくなり、日に日にしんどくなっていきました。

    そんな僕にある日母が「ラジオで聴いたんだけどフリースクールって場所があるんだって、行ってみない」と言ってきました、ですが最初は気が乗りませんでした。

    陰気で暗いイメージしか無かったからです。

    しぶしぶ連れて行かれたのがフリースクールフォロと言う所で、その頃まだみなもはありませんでした。

    中に入ると同時に僕はとてもビックリしました。想像していたイメージと全く違うかったからです。皆とても明るく、生き生きしててとても良い雰囲気だったので直ぐに行ってみようと思いました。

    引きこもり状態だった僕には全てが新鮮で刺激的でした。
    今まで使った事もなかったパソコンや、学校に行かなくなって以来の鬼ごっこやキックベース。

    毎日がとても充実していました。

    ですが、僕はもともと癖が強かったので、対人関係でとても苦労しました。

    自分の事ばかりで自分が思うことは皆も思っていると勘違いしていたので度々衝突してしまい、人と上手く付き合う事ができずに死んでしまいたくなるほどに辛く苦しい思いもいっぱいしました。

    今思うと自分が悪かったと思う事もいっぱいあったと思います。

    当時の僕に何度も何度も根負けせずにずっと話し合ってくれた人がいました、当時フォロのボランティアに来ていた松浦さんです。

    中々に物分かりの無かった僕に様々な事を問い質し、教えてくれたおかげで段々トラブルも減って行きました。

    みなもが出来たのはその頃でした。

    それからしばらくしてフリースクールを卒業してバイトに励んだ時期がありました。ですが、元々メンタルが弱かった僕は、働くにつれて段々病んで行きました。

    いわゆる鬱と言うやつです。

    本気で死のうと考えた事も何回もありました。とにかく生きていることが苦痛でしかたありませんでした。 でもその度にフォロやみなもの友達やスタッフの方々が励ましてくれたのです、多分相当しんどい思いをさせてしまった事だと思います。

    独りでいるのが怖かった僕を今川さんが家に泊めてくれた事もありました。

    残業の様な事をさせてしまって申し訳なかったと思いますし、とても感謝してます。

    フリースクールに来ることで知り合ってきた沢山の人達が、物凄く視野の狭かつた僕に、世の中色んな人がいて、一人一人性格や考え方が違うのだと言うことを教えてくれました。

    スタッフやボランティア、友達や家族、今の僕があるのは沢山の人が僕に色々な事を、向き合って身を持って教えて支えてくれたお陰だと思っています。

    本当に本当に感謝しています。

    僕は今専門学校に通いながらみなものボランティアをしています。

    学校に行かなくなったから進学出来ない、やりたい事も出来ない、と思うのは違うと僕は思います。

    対人関係が苦手、何らかの障害があって出来ない、克復するのに時間がかかる事もあるので一概には言えませんが、理由が無い限りは少なくとも、本当にやりたい事があれば努力すれば出来るし、進学だってやる気しだいで何とでもなるはずです、様は本人の気持ちしだい、どれだけ真剣に向き合えているかだと思います。

    だから「自分は学校に行っていなかったから出来なかった」「フリースクールに通っていたから○○」というのは都合のよい言い訳だと思うし、「そんなとこに行っているから○○」などといった考え方は単なる偏見で僕は大嫌いです。実際に僕の学校にも、高校を出ていても何もせずに遊びほうけている人はいっぱいいます。

    学校に行かないことは悪い事ではありません、何もしない事の方が問題です。別に学校に行かなくてもいいと思います、だからと言ってフリースクールに来なければいけない訳ではありません。

    肝心なのは自分が何をしたいのが、どうしたいのかが一番重要な事だと思います。

    僕にとってフリースクールは迷っていたり苦しんでいる時に、そっと手を差しのべて導くのではなく、共に考え支えて手助けをしてくれる場所だと思っています。

    真剣に向き合ってくれます、そこまでしてくれる教師は学校では滅多出会えないと思います。

    物事は全て、どちらが良い悪いではなく、どちらも良く悪いのだと僕は思います、今の自分には何が必要なのか?を考えて、自分の気持ちに真っ直ぐに生きて行けたら良いと思います。

    自分の可能性をかってに決めつけて諦めて欲しくありません。

    自分らしくです。

    これもあくまで一つの僕なりの考え方です。

    学校に行かない、行けない人、それいがいの人にも、この文書を読んで、何が少しでもお役に立てた事があればとても幸いです。

    今まで長い文書を読んでいただきありがとうございました。

    みなもに通い始めた頃は、不登校であることや将来のことを考えてずっと不安でした。でもスタッフの方々や友人と過ごしているうちにそういった暗い気持ちは少しずつなくなっていました。みなもで過ごした数年間、普通の学校に行っていたら学べなかったこと、経験できなかったことがたくさんあったと思います。寧ろ不登校で良かったと思うことさえあります。そのことに気付かせてくれたみんなに感謝しています。長い間お世話になりました。

    平成20年11月以前小中学校に行くことに恐怖を感じ引き混り、そのまま中学の前期終わるころ、母親と口論になり部屋中の物をひっくり返し恐し暴れ、私は、包丁を取り出し胸に軽いけがを負いました。今では傷一つ残っていません。母親がぶってくれたおかげで、軽いけがで済みました。その後、引きこもったまま、過ごしてたとある日母親が、みなもに連れて行ってくれました、初めのころは、身内以外の人間と関わることが、とても恐怖で行くことがせいっぱいでしたが、Iさんとポケモンのゲームをしたり、プラモデルを、作ったりして、他人との関わりを、徐々に取り戻し始めていましたが、Iさん以外の人と関わることがとても怖く、施設内の一角の部屋Iさんと引きこもり状態になっており、初めのころは、周りの部屋から聞こえてくる音、声、影がとても怖く感じていました。とある日Nさんからゲームに、誘われましたがまだ、関わることが難しい状態でした。Nさんや、いろいろな人に誘われるようになった、とある日から恐怖心が徐々に抜けていき、Nさん達がやっていることに(テレビゲーム、カードゲーム、ボードゲーム)参加できるように、なり時にはNさんが、いない状態で参加できるようになりました。とある日からNさん含め4人または、8人でテレビゲームを、して人と関わるようになった。日が過ぎていくとともに数人で日本橋に、買い物に行ったりできるようになり、旅行などにも参加できるようになっていった。

    時が過ぎ、高校に進学する時期のころ学校に、行くかなくてはと思い始めたころ。Iさんが学校に、通わなくて言いという高校を紹介してもらいました。それが、松陰高等学校のにいき、Iさん等の多くのスタッフにサポートを、していただき無事に卒業しました。卒業を、迎えるころとある出来事があり、保育士への道を考え始め、初めのころは、通信学校の保育科を考えましたが、社会経験や人間関係を、学びたいなと思い今の専門学校に、YさんNさんと、交代でオープンキャンパスに参加し、時期に一人でオープンキャンパスに、行くようになりました。時期が過ぎ入学が決まりIさんYさんなどのサポートのおかげで、二年間の短期大学通信学部を無事卒業し、残り一年専門学校で、保育士の資格を取るためにみなもの塾で勉強を、しています。

    お世話になりました!

    みなもで学んだ三年間を忘れずこれから思う存分夢に向かっていきたいと思います!
    本当に早くて、いろんなことが経験できた三年間でした。ありがとうございました。

    2008年2月末。あの日、私がみなもにやってきて、もう4年がたちました。入学当時、中学1年生だった私は、4月から高校3年生。すぐそこに、みなもに入学して5回目の春が待ち構えています。

    しかし、私は今、そのみなもの春から遠ざかるように、高校の新しい校舎で、新しい生活をはじめようとしています。春は出会いと別れの季節。 始まりと終わりの季節。新しい春を迎える、新しい生活の始まりと同時に、沢山の大切なものとのさよならを、迎えようとしています。正直言って、今年は別れの多い春ですね。高校の旧校舎、通学路との別れ、それに伴うみなもとの別れ、小学校1年生のときからお世話になった南森町駅との別れ、極端な話、中学に入ってからずっと一緒だったパソコンともお別れです。

    …ひとやものとの別れを目の前にすると、急に、出会ったばかりの頃の出来事が懐かしくなりますね。

    私がみなもに来た頃のことは、いまでもよく覚えています。

    みなもにやってきた一番最初の日。私たちの面談を担当してくれたのは松浦さんでした。あの頃はまだ、ふじビルの5階にみなもがあり、そこでの活動は、狭苦しいものではあったものの、正直なところ、私はあの雰囲気が好きでした。

    みなもにやってきて、初めてのお泊り会。5月の出来事でした。その日の夕食はチーズフォンデュで、みんなで材料を買いに行ったものの、「フランスパンが足りなさそうだから、もう1本追加で買ってきてー」と、帰り道、買出しグループ第二陣に頼んだことを覚えています。細かいところまでいくと、確かその中ににいぶきさんがいたような…? 余計なところで記憶力のいい私、覚えているのはそれだけではありません。 夜になって、みんなが寝たりしださないのに驚いたのは当たり前、夜中に、シフォンケーキを食べたことと、それから40分ほど経って3分間の軽い睡眠をとったら、それまでの40分間の記憶がすっかり飛んでしまったことまで覚えています。確か眠りについたのは4時40分くらいでしたでしょうか。目覚めたのは7時前でした。

    基本的に、お泊り会では睡眠時間の短い私ですが、このときも3時間は眠れなかったんですね。やけに40分との縁がありますが気にしないで頂きたいところです。と、こうして初めてのお泊り会を振り返ってみるといつも思うのですが、いつも自分の話したことや他人の話したことは耳がちくわになったかのごとく頭から抜けていくというのに、こういう妙なことだけはちゃんと頭の中に残しておいてくれるんですね。 そして、お泊り会だけならず、初めての海水浴やスキー旅行…。初めてのものには基本参加していた私ですが、いまだに自分の中で消化しきれていなくて後悔しているものがあります。…他フリースクール等との交流イベントです。

    実際、卓球大会には一度も顔を出したことがありません。中学生のときからですが、学校に通いながらの参加は厳しかったのでしょう、大体、外部に顔を出すイベントの時には、欠席していました。覚えている中で初めて顔を出したのは、確か文化祭の時でした。それからはほとんど顔を出すことがなくなり、みなも通学最後の年になって、やっと、エデュコレやら野球大会やらに顔を出すようになってきたほどです。

    と、アクティブな割りに、意外とイベントには顔を出さなかった私。代わりに、みなも内での生活はこれでもかというほど謳歌しました。

    しかし、TRPGやゲーム制作部以外は、みんなと一緒にゲームをしたりするというより、スタッフさんやボランティアさんを捕まえては話に付き合わせるというなんとも自分の趣味にひたすら一直線な生活でした。いつも付き合っていただいて有り難う御座いました。特に南郷さん! いつもみんなの話の軸からずれた話題ばかり出していてすみませんでした、そして、毎度キャラクターの設定がぶれていてすみませんでした…。

    このあたりは、これからもまだまだ精進していかねばならないところでしょう。まずは、話の内容を覚えるところからですね!

    まだまだ、やり残していることは沢山ありますが…例えば、ゲーム制作部とか。それでも、今年『卒業する』という道を選んだのは、みなもでやるべきことはやりきったからだろうなと思います。

    正直なところ、この強情な私のことです、去年の4月から『卒業する予定だ』といいつつ、全ての揃わない状況では、たとえこうして校舎が移転して両立が厳しくなったとしても、無理やりに通おうとしたでしょう。寂しいな、と思いつつも、もう、私にみなもは必要ないんだろうな、と、心のどこかで納得しているようです。

    それほど、私の心が成長したのかなぁと我ながら感心することもありますが、私だってまだまだ成長段階です。先ほども言ったように、話の内容は覚えられず、他人の話もまだ聞けません。他にも足りないものだらけです。これからも、色々なものに触れ、学び、自分の成長の糧にしていかなければいけません。 でも、それは、みなもと一緒にではなく、これから待ち受ける新しいステージの上で、なのです。

    …みなもは、私にとって、とても大きな踏み台になったと思います。みんなと同じステージに立つのに時間が掛かった、という考え方もありますが、考え方の方向を変えれば、みなもにいたからこそ、他の人にはないものを伸ばせたのではないかと考えています。

    今、私が立っているステージは、他の人が立っているステージと同じ高さなのか、それともそれより高い場所にあるのか、逆に低い場所にあるのか…時折、そうして基準をつけそうになることもありますが、正直そんなもんは関係ないでしょ! …が本音です。

    自分のステージは自分のものです。自分にしか歩けない道です。他人なんかに歩かせてたまりますか。自分だけが歩いてやるんです。

    生まれて17年、まだまだヒヨッコな私ですが、これだけは、堂々と『これが私の歩く道だ、歩いてきた道だ』と、自信と誇りを持って言えます。

    …ここまで私を導いてくれたみなもには、感謝の気持ちでいっぱいです。この卒業生の答辞のような挨拶もとい長話をしようと考えたのも、『ろくなお礼も言えずにさよならなんてできないやい』という思いからでした。今、こうして口に出せているものの、どうお礼を書けばいいか、言葉が浮かびすぎて、正直、すごく迷いました。無駄話ばかりが増えていって、何度も書いては消してを繰り返しました。

    書きたいことは沢山ありましたが、時間の都合上、削らざるを得ませんでした。しかし、こうしてメッセージにできる言葉がどれだけ削られても、感謝の気持ちの大きさだけは変わりません。 この私が保証します!

    …さて、私のこの長話に付き合っていただいてありがとうございました。今まで色々わがままを言いましたが、最後に、みっつだけ、私からお願いがあります。みなさん、このチビな割りに夢だけでっかく持って新しいステージへ羽ばたこうとしている私ですが、私がみなもからいなくなっても、『そういえば、こんなハイテンションな女子生徒がいたなぁ』と、時々思い出してやってください。そして、思い出した時にでも、『あの人どうしてるんだろうなぁ、うまくいってるといいな』と、ほんの少しだけでもいいです、応援してやってください。

    そして、本当に最後の願いです。

    どれだけ時が経ち、みなものメンバーが変わっても。 形や名前が変わっても。心の傷ついた人たちを、みんなが優しく迎えてくれる。ここが、そんなあたたかな場所であり続けますように。

    いつか、大人になった私が、久しぶりにひょっこりと顔を出したその先に、このあたたかな『みなも』がありますように。

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